テスト投稿 さよなら、私のオートマタ 第0話

「良いんじゃないですか、別に」

無機質な言葉の意味が汲み取れず、アイリは二、三度目を瞬かせた。

壁に接地された灯火が揺れるたび、彼女の――パールの白い肌が薄闇に浮かぶ。表情からはまるで感情が掴めない。赤味を帯びた唇を凝視しながら、私は彼女に問う。

「もう一度言ってくれる?」

彼女は薄く唇を開いた。顔を覗かせた白い歯は、穴倉に住む私には些か眩しい。

隙間から小さく息を零す。溜息。嘆息。億劫で面倒な様相を声色に滲ませながら、彼女は言葉を吐き出した。

「私は反対ですご主人様。一生この穴倉に閉じこもって、世界の終焉まで人形作りに励んでください。以上」

「酷いわ! さっきと言っていることが違うじゃない」

「聞き取れたのなら聞き返さないでください。私は無駄な労働が嫌いです。というか労働が嫌いです。労力を割きたくない」

「……メイド仕様のオートマタが言っていい台詞ではないと思うの」

「話が終わったのなら、私は食糧を調達しに行きますが」

「お、終わってないのだわ! 待って待って! 話の続きを。ほら、座って。どうぞお掛けになって。温かい紅茶も淹れるわ」

安楽椅子を引く。パールは不承不承といった様子で腰かける。膝掛を渡すと、黴臭いから要りませんと返事がある。「これ、私が普段使っているものなのだけれど……」黴臭いのだろうか。鼻を近づけてみるも、何も匂いはしない。

いや、今はそんな些細なこと気にしない。コホン、と大仰に咳払いする。対面したパールへ、もう一度同じ言葉を告げる。一言一句、全く同じ言葉を。

「ねえパール、私ね、この穴倉を出ようと思うのよ」

炎が揺れる。ゆらゆらと形の移ろう陰影が、二人の間を奇妙に踊る。

「良いんじゃないですか、別に。この返事は不満ですか。それとも言葉が通じていませんか? 認識を合わせましょう。ご主人様は穴倉を出よう、と言っているのですよね? 私は出ても良いのではないですか、と言っています。お判りですか?」

「お、お判りなのよ」

「では、他に何か?」

「釈然としない」私は素直に心情を吐露する。言葉を変えるなら――「腑に落ちないのよ」

「何を仰る。私はあなたのオートマタ。ご主人様の意見を肯定するのは当然」

「よく平然と言えるわね。あなた、私がオートマタの服装を考えているとき、ショートパンツにしようって提案したのにスカート買ってきたでしょう。アレはどうなのよ」

「服装を考えているときのご主人様、表情が緩んで気持ちが悪いのですよ。なので、つい」

「肉が食べたいと言ったのに魚を獲ってきたのは?」

「私が魚を食べたかったからです」

「……ま、まあ、反抗期ってやつね。手が掛かる子供の面倒を見るのも主人の務めだわ。って、なんで今鼻で笑ったのよ。あなたって本当に」

いや、よそう。意識して頭を左右に振る。癖のある灰色の髪が、視界の隅でふわふわと揺れた。その拍子、気がかりになって、髪の束を一房掴んで鼻に寄せる。私って黴臭いのかしら。すんすんと嗅いでみるも、やはり自分の体臭は判らない。

「とにかく」もう一度、コホン、と咳払いする。「もうこの穴倉にオートマタを作る鉱石はないわ。それに、これ以上無暗に製作するのも賢しいとは言えない。ほら、私の価値観や美的感覚は百年前で止まっているでしょう? 製作者として世に送り出す以上、現代の流行や嗜好を取り入れるべきよ。でも、何より大事なのは」

「大事なのは?」

視線を落とす。パールが淹れたのだろう。気がつかぬ間に陶磁器が置かれ、そのコップは琥珀色の液体で満たされている。静かに揺れる紅茶には、不安げに眉根を寄せるアイリの姿があった。漂う湯気に睫毛が湿る。

「……知りたいのだわ。オートマタが、本当に人の役に立っているのかどうか」

だって判らないもの、と言葉を繋げる。

「私はずっとオートマタを生み出してきた。その数は丁度百体になったわ。この量が多いのか少ないのかは判らないけれど、多少なりとも彼女たちの影響は見えるはず。人間とどう接し、どう歩んできたのか。私は知りたいのよ」

「オートマタは人に寄り添い、人を幸福へ導くためのモノ。それが実践できているかの可否が知りたいと。であれば、私が調査しても構わないのですよ。ご主人様が出ずとも」

「……自分の目で見たいのよ。素直に吐露するなら、人間たちの様子だって知りたい」

「失望させないように言っておきますが、魔女の扱いは変わっていませんよ」

「それは……」

大腿の上に置いた手を、ぎゅっと握りしめる。

「判っているわ。魔女は災厄の化身。怪物という呼称がお似合いな、災禍をまき散らす化物。百年前に痛いほど味わった。正確には、味合わせてしまった。だけど。ううん、だからこそ。私は持って生まれたこの最悪の力を、誰かの幸福のために振るいたいのよ」

机上にある、人を模した人形を一瞥する。百年の間不器用な手つきで修繕を繰り返し、今では随分と見栄えが悪い。だけど、この人形が私を変えてくれた。導いてくれた。闇の中に、一筋の光明を与えてくれた。

だから私も、誰かを幸せにしたい。

喩え、世界の敵だと見做されても。

「ご主人様、あなたは本当に馬鹿ですね」

「なっ……い、今とても良い話をしていたのだわ! 流石に看過できない暴言だと思うのよ!」

「皆まで説明せずとも、私は理解していますよ。我々オートマタをあなたが作った理由を。私はあなたを見守るために生み出されたオートマタ。きっと、この世界のあらゆるオートマタの中で、最も強く深く、理解しています。今更そのようなことを語られても困るのです。ですから、ずっと言っているではないですか」

――ここを出ましょう、ご主人様。

彼女は明確に肯定した。相変わらず表情に変化はない。声に明瞭な抑揚もなく、心情を汲み取ることも難しい。だけれど確かに、肯定した。

何故だか泣きそうになる。何故だろう。この穴倉を出られるから? オートマタに会えるから? 人間と再び接することができるから? あるいは、その全て?

ううん。なんだっていい。決めたことだから。

ぐす、と鼻水を吸い込む。待っていなさい、と僅かに震える声で呟く。

「待っていなさい、私の作った百体のオートマタ! いざ、出陣のときなのだわ!」

「ご主人様」

「何なのだわっ?」

「私がここにいるので、待っているオートマタは九十九体です」

「もう、水を差すようなこと言わないで欲しいのだわ! 穴倉にこもって百年で、百体の節目なのよ!」

「正確には九十九年と四か月です」

「え、そうなの?」

「はい」

「四捨五入してもダメ?」

「四か月なので。寧ろ減るかと」

「……まあ、とにかく。この際細かいことは気にしないのだわ」

アイリはカップに手を置く。小さな唇を白い器に付け、ぐい、と中身を飲み干す。それから元の皿に置き直した。カチャリ、と器同士の擦れる音が響く。机の人形を手に取った。黒いローブの懐にしまい、席を立つ。

その瞳は穴倉の入り口を見据えていた。あの先に広がる世界、更にその奥へ。

「出発するわよ!」

さあ行こう。

待っていて、私のオートマタ。