夢見るコンビニ少女の初恋

高校二年生。九月。
私は、恋をしていた。

あの人と会うのが一番の楽しみで、あの人のことを考えると眠れなくて、あの人が笑ってくれるにはどうすれば良いか思い悩み、毎日好きでもないバラエティ番組を見て話し方を研究してる。

でも、きっとあの人は軽薄な笑いなんて興味ないんだろうなーと考えると、イギリスのタブロイド紙でも読んで理知的な自分を装ったほうが良いのかもしれない。

……まあ、英語の日刊紙なんて読め無いんだけど。

国道の脇に伸びている歩道を歩きながら、私はあの人の顔を思い浮かべる。

首元まで伸びた綺麗な黒髪。爪楊枝くらいなら乗っちゃいそうなほど長く、空に向かって反り立つ睫毛。申し訳程度の薄い化粧は相手に不快感の一欠片も与えなくて、私が小さな頃に思い浮かべた理想的なオトナってやつだった。

コンビニの自動ドアが開く。
お菓子コーナーで商品を陳列していた女性が、黒髪を翻して顔を覗かせた。その美しい顔が綻ぶ。

「いらっしゃいま――あ、優衣ちゃん」

「こんばんは」

私が言うと、北上さんも「こんばんは」と返してくれた。たった五文字の言葉なのに、私は一日の疲れが吹き飛ぶくらい高揚してしまう。

「今日もこんな時間まで書いていたの?」

「どうしても夜の方が集中できるって言うか……家族が寝静まった後じゃないと書きづらくって」

「まあ、それは判るけど……学業や部活動はともかく、体調には気を付けるのよ? まだ若いから肌も荒れないかもしれないけど、少し歳を取ったらそんな無茶な生活できないんだから」

「だから今のうちに無茶するんです」

私が言うと、北上さんはふっと頬を緩める。まるで春の風が吹いたみたいな笑顔に、私の胸はきゅっと締め付けられる。痛いのに、苦いのに、凄く心地好い。

「それもそうかもしれないわね」

北上さんはレジに向かって歩き出す。私が何か言う前に、レジの奥からコーヒーカップを取り出してきた。そのまま慣れた手つきでコーヒーマシーンを操作する。

コーヒーはすぐに出てこなくて、たっぷりと時間をかけて抽出される。

私はこの間、レジを挟んで立っている北上さんをじっと見つめる。

黒い液体に注がれる真っ直ぐな視線。桃色に色づいた艶っぽい爪。薄く赤味を帯びた膨らみのある唇。最近髪を少し切ったことに私は気づいているのに、それを言い出す勇気が無い自分が情けない。

「はい、どうぞ」

北上さんからコーヒーを受け取る。コーヒー代である二百円を渡し、私は店内にあるカウンターテーブルの前に座る。いつものように隣に北上さんが座る。肩と肩が触れ合いそうな距離に私の大好きな人が居て、頬が赤らんでいないか不安になる。

「で、調子はどんな感じなの?」

「ぼちぼちです」

私は声が上ずってしまうのを感じながら、小さく息を吐いて言葉を紡ぐ。

「本当は二か月に一作は書きたいんですけれど、まだまだ遅筆が治らなくって。頑張っても四か月に一つくらいですね」

「そっか。でも、毎日やり続けてるんでしょ?」

私はこくりと頷く。毎日三時間。

中学三年生からだから、かれこれ二年以上は続けている。

続けられるのは、こうして話を聞いてくれる北上さんが居てくれるからなんです――なんて、私の言いたい台詞トップスリーには入っているのに、これもかれこれ半年以上言えないでいた。

「偉い偉い。十六歳とか十七歳でやりたいことがあるってすごいことだよ。それも、その夢のために一所懸命努力できる。それって凄く素敵なことだと思うな」

「そう、ですかね……ただやりたいことをやってるだけなんですけど……」

コーヒーに視線を落とす。睫毛を湯気が湿らせる。黒い液体には喜びを滲ませる自分の顔が映っていて、きっと顔は真っ赤になっているんだろうな、と思う。

表情を隠すようにコーヒーを飲んだ。最初は格好つけて飲んでいたブラックコーヒーも、半年以上飲み続ければ流石に慣れた。

――半年以上……か。

私が小説を書き始めたのが二年前。毎日深夜一時まで小説を書いて、休憩がてらにコンビニへコーヒーを買いに来るようになったのが七か月前。北上さんとこうして喋るようになったのもその辺りで、彼女に好意を抱くようになったのは一体いつからだったのか、それは覚えていなかった。

北上さんは、私の話を親身になって聞いてくれる。

学校のこと、小説のこと、家族のこと。時には友達みたいに、姉みたいに、先生みたいに。私の気持ちを汲み取って接してくれる北上さんのことは、口づけしたくなるくらいには好きだった。

……北上さんは、私のことどう想っているんだろう。

最近、気が付けばそんなことばかり考えてる。彼女の声や香りに触れる度、北上さんの胸の内を覗きたい衝動に駆られる。実際には覗くなんてできなくて、胸裏を知るには、私から質問するしかなくって、でも、訊けるわけなんてなくって……。

「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

「えっ、いや! あ、あれ? 私、顔見てました?」

「うん。じーっと見つめられてるから、出勤前に食べたたこ焼きの青のりでも付いてたかなーなんて思っちゃった。あ、それともあれかな? 私の顔を好きになっちゃった?」

その瞬間、私の心臓がトクンと跳ねた。

――顔を好きになっちゃった?

ううん。違うの。私が好きなのは、顔じゃなくって、いや、顔も好きなんだけど、喋り方とか声とか、雰囲気とか目の下のほくろとか、その、北上さんを構成する全ての要素が好きなんであって、私は……。

「好き、です」

気が付いた時には、口から言葉が漏れてしまっていた。

慌てて口をふさぐけれど、出てしまった言葉を回収することなんてできない。もっと違う誤魔化し方をすればよかった。

『そうそう、好きなんですよーその夜勤で疲れてできたクマとかーあはは、なんちゃって』『好きです! あ、たこ焼きの方ですけど!』とか……色々誤魔化し方はあったはずなのに、私の頭の中は真っ白になってしまった。

体中がかっと熱くなって。少しでも油断すると涙を流してしまいそうで。

それでも、私は瞳を大きくした北上さんから目を離せずにいた。

不意に言ってしまった言葉は、不意に言えてしまった言葉でもあったから。

「好き、って……?」

北上さんの第一声はそれだった。

彼女が言葉の意味を呑み込めないでいると判って、同時に、私は悟ってしまった。

好きだったのは私だけで。

北上さんは、私に対して何も想って無かった。

「――っごめんなさい!」

私は椅子から立ち上がり、背後で北上さんが私の名前を叫んでいる声を聞きながら、それを振り払うようにして、その場から走り去った。

これが……私の初恋だった。

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